LA LA LANDとわたし

noteから引き上げてきた記事1

2019/05/21

 

いつか映画のことを書きたいと思っていて
書くなら一番初めはこの作品について書きたいと思っていた。ようやく今。

 

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ミュージカル映画がとても好き。
大勢で歌うシーンに無条件で涙腺を刺激されてしまう体を持っている。

LA LA LANDは予告編が公開されるよりずっと前からミュージカル映画がくるらしい!て長らく楽しみにしていて、
忘れもしない立川シネマシティで公開初日の最初の回で観てあまりの楽しさにうわーーーってなって劇場出てすぐ次の回のチケットを買いにいった。

1曲目Another Day Of Sun
2曲目Someone In The Crowd
この二曲の高揚感たるや、
やっぱり予想していた通り初っ端からボロボロに泣いてしまったんだよ。
予想して持っていったハンカチはビシャビシャになった。
初回の次の回はわたしがいった頃には満席で、仕方なく次の次のチケットを手に入れて、
高揚して地面から浮いた足で何でか銀座のいつものボルダリングジムまで行って、ひと登りしてきたんだよ…なぜか…
数時間ぶっ続けでサントラ聴きながら
spotifyは素晴らしい
おかげで数時間後の2回目は一緒に歌えるくらいに仕上がってた。

Another Day Of Sun
夢を見て、それを信じて飛び乗った人たちの歌。
夢のことを見つめて走っていくなら足元の道がいくら悪くても足を止めなさそうな人たちの歌。

みんなのステップ一つ一つに迷いがない。
わたしには若干眩しさが過ぎる。

一方のSomeone In The Crowd
この曲がもう初めて聴いた時からひどく刺さってしまって、刺さったままになっている、
だってこうだよ。

Someone in the crowd could take you whereyou wanna go,
If you're the someone ready to be found!

わたし?!
わたしの用意ができてたら?!
て観客だったのに不意にこちらを向かれたように焦ってしまう。
わたしはready to be foundなのか?
乗るべき電車を待って朝の日の光を眺める時、
電車の中の揃ってready to be foundに見える人たちを眺める時
帰り道暗い夜の空を眺める時
連日自問自答してかなり疲れた。
そして答えはノーだ。
ノーもノーだよ未だに自分がどうしたいのかも靄がかかってんのか?てくらい分からないフェーズにいるのに。
そしてブツブツ呪文のように繰り返してしまう。

Do what you need to do,
Till they discover you,
And make you more than who you seeing now

華やかに踊る人々を前に立ち尽くすような気持ちになる

第一志望の大学がダメで、受け直す浪人する度胸はなく、なんとなく卒業まで辿り着けたけど功績はゼロ、親元を離れて出てきたその町があんまり好きになれずそれでも四年
最初に就いた仕事はやばい会社で、これはあかんと飛び出してその後を見つけるもトーキョー勤務。
膨大な人間に囲まれて片道一時間通勤は心にくる

行きたい場所が本当はあることを心から追い出すことができないで、
でも、なら、そのためになにをしたらいいのか?てところでいつも立ち止まってしまう。


この作品、観てしばらくたつと気になるところや好きじゃないところも出てきてあれ?あれあれ?てなるのだ不思議な映画だ
主役2人の振る舞いとかも、セブはジャズ以外の音楽バカにしすぎだろ?とか2人ともスマホあるでしょ?連絡ちゃんとしよ?とかさ突っ込むところ多いよね
台詞じゃなくて歌でやって欲しかったところが多すぎるとかさ
喧嘩のシーンは普通に喋んのかい

でも誰かの感想、これは「ミュージカルになりきれなかった人たちの話」なんじゃないのかと言った人がいて腑に落ちた。

オーディションをしながらカフェのバイトをすることや、
依頼を受けて演奏したセットリストと違うジャズをやっちゃうとか。
店持つなら普通に働いてお金を貯めた方が近道じゃないの?て思うかもしれない。
でもさなかにいる時、最善の手を迷わず見つけて掴めることばかりじゃない

行きたい場所だけは燦然とわかってるの、見えてるのに
そこに続く橋は、わたしの分はもう全て落ちちゃったんじゃない?てくらい行き方がわからないの。

やってる人はいる、
でも単にわたしのできないことができる人だったり、
わたしが気にすることを気にしない人だったり
わたしの持ってないものを持ってる人だったりするように見える
わたしはわたしのまますげーうまくやってるところをロールモデルにしたいんだよ

本当は、深いことは考えず世間的な自分の価値をうまく使って、本当に夢見ることは薄目で横目で、ミュージカルの一部になれた方がきっとずっとラクだし楽しい。傷つくこともない。
でも本当になりたいものがある時、
行きたい場所がある時、
そのものから目を逸らしてラクなことだけ見て生きる時間を使うのは、その方がずっと恐ろしい。


ずっと自分のいるべき場所はここじゃないという焦りのような気持ちが付いて回る。
先のことを考えて「何者にもなれない」恐怖も拭えない。
挫折の恐怖と遠くのほの明るい希望を同時に持ってその間でどっちにも行けない

わたしは見つけてもらえるのだろうか
やるべきことをやれているんだろうか


いつか未来にわたしが万一罷り間違って成功などしようものなら、こんな映画歯牙にもかけなくなるかもしれない。
でも今のわたしには確かにこの映画が要る
要るのだ