バトンを渡し渡された話
先日、高校からの友人からふと連絡が来てやりとりをした。
コロナのことを嘆いたりなどしばらくしたのち、彼女がわたしにお礼を言いたいことがあるという。
聞くと数年前にした会話の中での彼女の発言にしたわたしの指摘にハッとすることがあった、ということだった。
わたしはそのことを覚えてはいなかったんだけど、話を聞きながらいくつかのことを思い出していた。
ひとつは先日TLで見かけた「人と出会って話を聞いてフェミニズムのことなどを知って、『バトンを受け取った』『私も走らなきゃ』と感じた」というツイートのこと。
ふたつ目は大学時代の留学先で、みんなで飲んでいた時のこと。
同じく日本から来た男子大学生から「あおちゃんはね〜今の彼女がいなければ付き合ったのにな!」と言われた。
わたしはどう反応するのが正解?とまず考えてしまった。この場合の正解とは好感度を下げない返し、みたいなのを想定してたと思う。この時のわたしはまだ「下ネタも受け流せるのがいい女」みたいな説にバチバチに影響を受けていた。
結局わたしは曖昧に笑ってありがとね、て言ったんだけど、そこに別な女の子が「それ失礼じゃない?」て言ってくれたのだ。
なんというか、エウレカ!だった。あ、それってそうか怒っていいんだ!だよねわたしこいつと付き合いたいとか思ったことないし。
まあここまで言語化出来るようになったのもずいぶん経ってからのことなんだけど。
その時その子がそいつと割と険悪なムードになってもきちんと怒ってくれたことが、そいつに謎告白的なことをされたことよりずっとずっと嬉しかったのだった。
ちゃんとそのことについてお礼を言ったか覚えていない…今度言おう。
みっつ目は他ならぬ今回のやりとりの相手の友人と数年前に交わした会話のことだった。
わたしはその時共通の友人が出ている演劇を観に行った後で、友人とそのことについて話した。
その時わたしは今思うと全く不要なディスりを入れて感想(とも言えるかどうか)を述べて、やはり「それ失礼じゃない?」ということをぴしゃりと言われたのだった。
この指摘だって直後は全然受け止められなかった。内心何だよノッてくれないのかよ!と思ったのバッチリ覚えてる。
でもしばらく経って、その演劇や友人の演技そのものについていくらでも感想が言えたのになんでそんなこと言った?と自分でも思うようになった。今も完全に抜けたとは言えない、親しい人に向けてディスり的コミュニケーションを取ってしまうところについて反省した。
友人との会話の中でも奇遇にもバトンという言葉が出た。
わたしは、わたしたちはまだ未熟なところがある…というか永遠に勉強し続けなのだ。
わたしが間違えた時、それをちゃんと正してくれる人にそばにいてほしいと思うし、その指摘をちゃんと受け止められる、そばにいてもらうに足る人間でありたいなと思った。
また大事な人々が間違えた時、目を逸らすのでなくてちゃんと指摘できるようでもありたい。
あとあと、大事な人々の尊厳が損なわれるような時、ちゃんとディフェンスにまわれるようにもしておきたい。
毅然と敬意だな…頑張ろう、走ろう。
写真は全然関係ない、わたしの腕に手を添えて寝るねこ