性被害について思うこと

noteから引き上げてきた記事3

2019/07/11

 

今月も今日11日、フラワーデモが全国各地で開催される。
わたしは今回は参加できないけど応援する気持ちだけは表明しておきたい。


前回6月の仙台のデモに参加した。
数人の参加者の方のスピーチを聞きながら、
赤の他人のその方たちの被害のこと、
自分の被害のことを思って怒りで涙が出た。

自分でマイクを持つのは
泣かずに伝わるように話せる自信が無くて出来なかった。
口で言うより文章で書く方が合ってるんだったなと思って今これを書いている。

性被害って思い返せば最初はたぶん小学生。
友達と一緒の帰り道で、後ろからゆっくり走ってきた車がわたしたちの横で止まった。
運転していたおじさんが何かをわたしたちに言った。
わたしは意味が分からなかった。
友達の顔がすっと変わって行こ!と言われて車と逆方向に走り出すのについて行った。
なんだって?て聞いても教えてくれなかった。

高校で女子校・電車通学になって
性被害はより一層身近なものになった。
後ろに立ったスーツのおっさんのこの動きは何だ?…これがアレか!というアハ体験からの体調悪くなるくらいの嫌悪感。
帰り道後ろから走ってきた上級生の「変質者いる!」という悲鳴。
大笑いしながらすれ違ったあとの友達の真顔、からの「今のジイさんちんこ出てた」
観測範囲内で言えば大人に助けを求めた人はほとんどいなかったんじゃないかと思う。
暗数って言葉はもっと後に知った。

忘れられないのは社会人になってから
会社の人たちと荒吐に行った時。
見たいステージはそれぞれだったから
会場に着いてからはほとんど単独行動で、
わたしは小学生の頃から好きなアジカンのステージを見に行った。
頑張って人波を漕いで最前近くまで進んだ。
演奏が始まって「歌ってるゴッチは世界一かっこいい」って思った。
気がついたらわたしの腰に後ろから手を回している人がいた。

両手で腰を抱きかかえられてることに気づいてすっと血の気が引いた。
咄嗟に背負っていたバッグの金具と一緒にその手を思いっきり握った。
ビクッとして手はすぐに引いたけど後ろを振り返ることはできなかった。
ゴッチのMCが入って、
「みんな楽しそうで嬉しいよ」て言った。
わたしは、わたしだけはみんなに入ってない、
そう思えてしまって体が冷たくなった。
合流してからどうだった?と聞かれて
よかったよと返すのが苦痛だった。

わたしの性被害はこれだけ
世に数多ある被害に比べたらずっとずっと「軽微」だし、
ちゃんと「撃退」だって出来た。
でもわたしはもう荒吐のステージを見に行けない。
あんなに、あんなに好きだったアジカンの曲も今はもう聴いてない。
アジカンは悪くないんだけど、無理だ。

 


痴漢くらい、て思うかもしれない。
でも本当に触んなよ。
お前が触った時点で減るんだ。わたしの何かが。
撃退すればいいって思う?
撃退したって触られた事実はもう消えない。
触ってしまった時点からもう消えない。
触らない痴漢もあるってね。
本当に本当に消えてほしい。

他人を害すな。
他人の存在を侵食するな。
TLで「満員電車がなくなれば」と言ってる人も見た。
どっこにでもいるよ。
加害する奴はどこにでもいる。
加害する奴をなくすしかないの。
わたしはもう全員全員消したい。
わたしに何かした奴も
友達に何かした奴も
知らない誰かに何かした奴も。
でもそんなの無理でしょう。
だからせめてちゃんと裁いてほしい。
何かした奴を。
世の中マジで変わってくれ。